教頭先生と兄の死

現在も本別高等学校内にある教頭先生殉職の碑

私は当時,15歳で一つ上の兄がいました。
当日は登校日でしたので,兄より少し遅れて学校に行ったのです。その日,空襲をうけるとは思いませんでした。街の爆撃がはじまった後,すぐに中学校が襲われ,20個以上の爆弾が投下されました。そのとき,教頭先生が私たちに「動くなぁ!」と叫んでまわっていましたが,一番動きまわってしまって,亡くなったのです。防空壕に避難した校長先生も泥だらけでした。
下校の途中,兄がケガをしていることを知り,利別川の川原に行きました。街は燃えあがっていました。医者もいないところに兄は置かれていました。のどが渇いていたんですね。知り合いのおばあさんが、タオルをしぼって小川の水を飲ませてあげました。ゴクンと飲んだあと,兄は亡くなりました。

いったい何時ごろだったんでしょうか。その日は時間の感覚がまるでないんです。
母は兄の死に目に会えなかったので、「かあちゃん」と呼んでほしかったと言っていました。ときどき畑仕事で残っていた兄の足跡を見つけては、いつまでも見ていたこともありました。