塩おはぎ

焼野原となった本別の町

あの日、私は役場で監視をしていました。
 
爆撃が始まると、役場建物がギリギリといい、爆風がドッーときて、私は、吹き飛ばされました。うまく集合煙突にひっかかり、無傷でした。奇跡です。そのまま行くところもなく、身を縮めていたのです。
敵機が去ると、私はすぐに町へ飛び出して行きました。町は火の海となり、すっかり変わり果て、どこに何があったのか、まったくわかりません。
 
駅の前では、爆弾の破片がささり血が出ている人が「医者、医者を呼んでほしい!」「痛い!痛い!」と叫んでいました。あちらこちらで、悲鳴やうめき声が聞こえました。私は包帯も薬もなく歩きまわることしかできませんでした。馬も犬も焼かれて死んでいました。
 
本別の町は三日三晩、燃え続けました。私は、焼け野原となった町を片づけることになりました。何日も飲まず食わずで働きました。そんなとき、父が「おはぎ」を作って届けてくれたのです。一口食べると、それは「しょっぱい塩のおはぎ」でした。あの頃は、砂糖が貴重な時代でした。泣きながらしょっぱい塩おはぎを食べたのです。そのときからだの底から生きていてよかったと強く思いました。そして命ある限り、本別空襲を伝えてゆくことを誓ったのです。