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第4回 本別経済を支えた2大工場①熾烈な誘致合戦の背景

明治乳業本別工場の外観写真(1973年撮影)
大日本製糖株式会社本別製糖所の外観写真(1962年撮影)

本別町の製造業の歩みは、マッチの軸木づくりなどから始まった木材業や鉄工業、亜麻を中心とした繊維産業に始まります。農業を基盤に、商業・流通・建設業との結びつきも強まり、町の活気とともに人口も増加。本別町広報や町勢要覧によると、1959年(昭和34年)の住民登録者数は1万8858人に達し、小中学校は分校を含めて26校、本別高校には定時制も含め17学級もありました。飲食店や娯楽施設も多く、当時の本別町は十勝管内で帯広に次ぐにぎわいを誇っていたといいます。その勢いの象徴が、2大工場の誘致でした。

1960年(昭和35年)、国の所得倍増政策を受け、地方から都会部への労働力流出が進む中、地方自治体にとって雇用を生み出す大手企業の誘致は急務となりました。本別町でも誘致を目指し、他町村との熾烈な戦争が繰り広げられました。

その中で注目されたのが、ビートの作付拡大と冷害対策を背景に新設が検討されていた北糖(北海道糖業(株))の製糖工場でした。新得、清水、芽室、幕別、池田、浦幌なども誘致に名乗りを上げる中、本別町は1958年(昭和33年)に「工場誘致条例」を制定し、町や農業団体、商工業の代表者らによる「本別てん菜製糖工場誘致期成会」を結成。