本別空襲

昭和20年(1945)に入ると、米軍の攻撃は本土中心となりました。3月には東京大空襲で10万人もの命が奪われ、4月には沖縄に上陸し21万人の島民や日本兵が亡くなりました。そして7月14日、15日の2日間は北海道が攻撃を受けたのです。狙われたのは兵器生産基地だった室蘭、函館、根室、釧路、本別などで、死者は1,925人と言われています。
7月15日の朝、本別市街付近の上空だけ窓があいたように雲が切れていて、そこをねらったように午前8時ごろ43機の米軍艦載機が侵入、死者40人、負傷者14人、全焼家屋279戸、大破家屋113戸、罹災者1,915人の空襲被害となりました。米海軍の報告によると空母レキシントン、軽空母サンジャシントの艦載機は本別町へ侵入と報告されています。空母サンジャシントよりグラマンアベンジャー8機、グラマンヘルキャット1機、空母レキシントンよりヴォートコルセア8機、カーチスヘルダイバー11機、飛行隊のグラマンアベンジャー15機の編成で合計43機とあります。無差別攻撃は50分程度で、その後三日三晩、街は燃え続けました。

 

 本別空襲来襲機

 

本別空襲の町にまかれた声明文


 

本別空襲戦災死没者数

死亡場所\死亡日 7月15日死亡 重傷者で16日以降死亡
第 1 区 (北4・北5上手) 男   2人 (藤井、野中) 女   8人 (井上3、西、五十嵐、森崎、千葉2) 男   1人 (柄沢)
第 2 区 (北4下手) 女   1人 (藤田) 女   1人 (田中)
第 3 区 (北 3) 男   7人 (宇津、山下、松井、森、佐藤、千葉2) 女 11人 (鎌田2、宇津、樋口、名取、千葉 坂田2、草野、角田、菊地) なし
愛国 男   1人 (毛利) 男   1人 (伊東)
中学校 (現本別高校) 男   1人 (山内) なし
青年学校 (利別川河原) 男  3人 (稲田、細岡、北畑) なし
仙美里 女   1人 (木村) なし
軍馬補充部 (現農業大学校) 男    1人 (松浦) 女   1人 (石垣) なし
小計 男   15人 女   22人 男   2人 女   1人
合計 男17人、女23人、合計40人

本別空襲戦災死没者名簿

戦災死没者氏名 年令 死亡の場所
五十嵐 ミサエ 12 北四丁目防空壕
石垣 キミ 23 軍馬補充部官舎前
稲田 隆一 16 利別川(開成橋)の河原
伊東 清蔵 18 亜麻工場裏
井上 敬子 9 北四丁目防空壕
井上 佳子 6 北四丁目防空壕
井上 広子 4 北四丁目防空壕
宇津 喜平 61 北三丁目
宇津 キヨ 51 北三丁目工場の中
角田 桂子 12 北三丁目工場の中
鎌田 セツ 28 北三丁目自宅のムロ
鎌田 妙 子 2 北三丁目自宅のムロ
柄沢 福太郎 41 本別駅構内
菊地 八重子 26 北三丁目勤務先店内
北畑 康博 18 利別川(開成橋)の河原
木村 令子 17 仙美里元町自宅押入れ
草野 ハルヨ 41 北三丁目自宅の押入れ
坂田 ハツ 北三丁目自宅
坂田 芳子 25 北三丁目自宅
佐藤 光正 3 北三丁目自宅の押入れ
田中 キシ 39 北四丁目自宅のムロ
千葉 トキ 30 北三丁目自宅
千葉 利市 4 北三丁目自宅
千葉 佳治 2 北三丁目自宅
千葉 ソノ 72 北四丁目防空壕
千葉 トキ 37 北四丁目隣りの裏庭
名取 カウ 57 北二丁目道路上
西 千鶴子 20 北四丁目防空壕
野中 秀夫 7 北四丁目防空壕
樋口 カネ 44 北三丁目工場
藤井 矗 5 北五丁目自宅の押入れ
藤田 タカ 50 北四丁目自宅
細岡 一男 17 利別川(開成橋)の河原
松井 米太郎 44 北三丁目草野宅
松浦 由蔵 63 軍馬補充部官舎前
毛利 照治 23 亜麻工場裏
森崎 ヒロ子 7 北四丁目防空壕
森 惣右エ門 61 北三丁目自宅裏庭
山内 三郎 42 本別高校グランド南山手
山下 岩吉 57 利別川北三丁目堤防