
私は当時、家事手伝いをしながら女性の警防団員に加わっていました。
あの日の午前7時ごろ、本別の町は急に晴空がのぞき、何日かぶりのさわやかな初夏のすがすがしさに、私は心晴れやかに、青空に微笑んだのでした。
どこからか、「爆音!爆音!」の声が響き、もしや!と思い、裏へでるとすぐに「大編隊!大編隊!」の声となったのです。何機かしらと、思っているうちに、ものすごい音が頭の上に飛び込んできて、私は目をつむり耳をふさいだのです。
(ダダ・・・,ダダ・・・,ピカリピカリ)
機銃だ。あまりの恐ろしさに、うめき声を上げて、目と耳を力いっぱいおさえて体をまるくしていました。近くに落ちる爆弾の地ひびき。ずしーん。頭の真にたたきこまれたような大きな音がしたとおもったら、バラバラと機銃の雨は今にも、私の背中をつきさすようでした。「あぁ、火だ」。自分のまわりが火の海になっている。倒れる畳を片手でささえながらはいあがりました。走るにもヒザがガタガタということをききません。なんとか家から逃げることができましたが、どこに隠れればよいのか。ああ、今度はもうダメだ。ばらばらと機銃の雨は降り続いたのです・・・。
おや、どうやら爆音は遠ざかりそうだが、まだまだうっかり飛び出せない。そろそろあたりを見渡すと、あっ!人だ。人の顔だ!なつかしさに飛び立つばかり。知り合いがおいでおいでをしていますが、ぼぉーと、火の海を見つめていた。家のまわりは全滅。死者も40人。
こんな小さな町での大空襲は日本一ということだったのです。