
あの空襲で娘のキミが亡くなりました。
7月15日の朝、夫は「空襲がくるかもしれない。気をつけてくれ・・・」と言って、軍馬補充部に勤務に行きました。
その後に、敵機の攻撃がはじまったのです。私は防空壕に隠れたのですが、娘のキミは官舎を走りまわり、はやく逃げるようにみんなに叫んでいました。娘のキミは23歳で、夫たちの勤務に出かけた留守の官舎を守る役割をしていたのです。
敵機が去り、私が防空壕を出ると、家の前の落葉松の下にキミ子が倒れていました。機銃で左胸、左手は爆弾の破片で傷ついていました。軍馬補充部の医務室に運ばれたのですが、若い軍医も手をつけられない状態でした。付き添いの私のもなにも出来ません。
夕方近くに「お母さん、目が見えない。目がみえない」と、何度も声を漏らしていました。最期の言葉も「お母さん、目が見えない」でした。今でも最期の言葉は耳の底から消えることはありません。官舎は焼けなかったのですが、屋根は爆風であちらこちらに飛んでいました。