開成橋渡橋式~利別川に初めての橋~

歴史写真館@ほんべつ④(明治45年)

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川は大昔から貴重な交通路でしたが、対岸への大きな障がいでもありました。
明治30(1897)年ころから、本別町には10か所の渡船場(渡し舟の発着所)があり、多くの人々の足として利用されました。利別川に官設の渡船場が開設されたのは、明治35(1902)年。本別と美里別を結ぶ通路ですが、10年後には橋に姿を変えてゆきます。
「歴史写真館@ほんべつ」4回目は、明治時代の最終年。現在も町の交通の要である本別大橋の今昔を、明治の写真と昭和の橋名板を通してお伝えします。


①開成橋渡橋式(明治45年撮影/歴史民俗資料館所蔵)

写真①は、明治45(1912)年1月25日に行われた「開成橋渡橋式」の渡り初めの様子です。真冬にもかかわらず1500人もの町民が詰めかけ、待望の橋の完成を盛大に祝いました。家族三世代の夫婦が揃って橋を渡るこの習わし。親、子、孫の代まで、橋が続くようにとの願いが込められているそうです。

開成橋は木橋だったため、ダムが未整備で水量の多かった頃は、利別川の洪水で破損を繰り返しました。そのたび修復を重ね、昭和6(1931)年には2代目開成橋として架け替えられています。

そして同29(1954)年の架け替えにより「本別大橋」と改称。その頃主流となっていたコンクリート橋(別名=永久橋)に生まれ変わりました(写真②)。

②昭和29年12月に完成した本別大橋

本別大橋は、幅5.5メートル、長さ227.5メートルで、当時十勝管内でも有数の長大橋でした。その橋のたもと4か所に設置されていた橋名板が、今も歴史民俗資料館に残っています(写真③)。漢字とひらがなの橋名が各1枚、竣工年月が記されたもの2枚の計4枚。これら金属板はずっしりと重く、風雪にじっと耐えながら、橋とそこを通る人々を守ってきたかのようです。

③橋名板

昭和45(1970)年、高度経済成長による自動車の増加や、本別中央小学校が現在地に新設されたことから、児童生徒の安全のため、この橋も架け替えられることになりました。開成橋から数えて4代目になる現在の本別大橋が完成したのが昭和48(1973)年11月。三つの川の合流点に発展した本別町を度重なる災害から守り、安心できる生活を平成の今につないでいるのです。

アイヌの人々がその恩恵に感謝して「アコロ・ポロペツ」(われわれの親なる川)と呼んだ利別川。そこに架けられた橋にも、脈々と続く物語が刻まれています。

(広報ほんべつ2018年7月号掲載)