大工場の進出~まちの発展を支える~

歴史写真館@ほんべつ⑨(昭和37年)

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戦後の復興から第一次ベビーブームを経て、高度経済成長の波に乗り、本別町は飛躍的な躍進を見せました。復員や引揚者、戦後開拓などによる人口増加、農林業とそれに密接した工業の発展が要因と考えられます。
町の工業の歴史は、開拓間もない明治末期、マッチの軸木製造に始まり、その後、木材業、鉄工業、亜麻を中心とする繊維工業などが盛んに行われていましたが、商業、流通業、建設業などと関わりながら、地域性を生かし、時代とともに移り変わってきました。
「歴史写真館@ほんべつ」9回目は、昭和30年代からの産業振興の中心となった工業にスポットを当て、二つの工場の開設を紹介します。


「本別町のいちばん多い時の人口は、どれくらいあったのですか?」歴史民俗資料館では、よくこのような質問を受けます。正解は1万8858人。昭和34(1959)年6月の住民登録者数です。戦後の開拓地に新設校が相次ぎ、同年の町勢要覧によると、小中合わせて26校(分校含む)、本別高校も17学級(定時制含む)があり、飲食店や娯楽施設も多く、十勝管内で帯広に次ぐにぎわいを誇っていました。しかし、昭和35(1960)年に始まった「所得倍増政策」による本州への労働力の流出などから、本町も過疎化の道へと進みます。

①大日本製糖本別製糖所(昭和37年撮影/歴史民俗資料館所蔵)

その状況下、長年の誘致運動が実り、同36(1961)年勇足地区に大日本製糖株式会社本別製糖所(写真①)が建設され、開基60周年を迎えた本別町は、喜びに湧きました。翌(1962)年11月操業開始。同年、製糖所に隣接して、国鉄池北線に「南本別駅」が新設され、関係者などの乗降に利用されました。同43(1968)年からは、現在の北海道糖業株式会社本別製糖所(以下、北糖)として営業。製糖期の白煙や朝の樹氷は、今も町の冬の風物詩となっています。

②明治乳業本別工場新設決定を祝う本別駅前(昭和45年撮影)

畑作と関係が深い北糖に対し、酪農と密接なのが、明治乳業株式会社本別工場です。活発な誘致運動により同45(1970)年に新設が認可され、町内では祝賀の垂れ幕やモニュメント(写真②)が掲げられました。同47(1972)年、新町で操業を開始し、原料粉乳とバターを製造。現在は株式会社明治本別工場として、町内外から生乳を受け入れ、クリーム・濃縮乳などを製造しています。

これらの工場は、当時の町民の熱意ある活動が実を結んだ成果で、今なお地場産業と結びつき、地域経済をけん引しています。時代の変化でどの産業も厳しい状況にありますが、それぞれが本別町になくてはならない大切な仕事。人びとの営みが歴史を作る…残された資料がそれを語ってくれます(写真③)。

③歴史民俗資料館常設展示「工業の発達」コーナー

(広報ほんべつ2018年12月号掲載)