歴史写真館@ほんべつ⑥(大正12年)
明治末期の寺子屋から始まった本別町の教育。大正時代に入ると、尋常小学校の義務教育ばかりでなく、農業補習などの実務教育が期待されるようになりました。また、農村の女子教育の必要性も叫ばれるようになり、十勝管内では帯広に私立女学校が1校しかなかったこのころ、本別町に相次いで2校が創設されたのです。
「歴史写真館@ほんべつ」6回目は、大正8(1919)年設立の「本別精華裁縫女学校」と並んで十勝の女子教育に大きく貢献した「十勝裁縫女学校」の写真とともに、今も残る顕彰碑、胸章を紹介します。

写真①は、原寸縦21cm・横27cmと大判で、厚くて立派な台紙に貼られたものです。上部の記載から、大正10(1921)年に設立したこの学校の第2回卒業記念写真であることが分かります。前列中央にいるのが、創立者の川上孝代校長(当時44歳)。明治末期、岡山県から移住した幕別町で裁縫塾を開き、大正6(1917)年、好景気に沸く本別で「川上裁縫女学塾」を開設。キリスト教の伝道者でもありました。
同校は同10年に町内有志の協力で北海道庁に認可され「私立十勝裁縫女学校」、昭和19(1944)年には「財団法人十勝女子商業学校」に昇格。同23(1948)年、学制改革に伴い「学校法人川上学園本別家政専門学校」として再建されましたが、高校進学率の上昇などにより入学者が減少し、同50(1975)年に閉校となりました。
「女性にも教養が必要」と、苦学して茶道・華道、和洋裁の師範免状を取得し、十勝でも女子教育の草分けとなった川上校長。没後40年にあたる同62(1987)年、その功績を讃える碑が、本町随一の景勝地、本別公園内に建立されました(写真②)。67年間の生涯と、戦中戦後の混乱期にも地域の教育に注いだ情熱は、教え子らによる記念誌「一粒の麦」にも詳しく伝えられています。

昨年、町内在住の同校卒業生から、資料館に一つの胸章が寄贈されました(写真③)。同20(1945)年の在学中、空襲で校舎も駅付近にあった下宿も焼失し、実家から列車で仮校舎に通ったことが忘れられないとか。
この小さなバッジを手に取ると、155年間に巣立った5000人もの女性たちの思い出話が聞こえてくるようです。

(広報ほんべつ2018年9月号掲載)