歴史写真館@ほんべつ⑧(昭和26年)
「戦争の時代」と呼ばれた昭和時代、本別町にも痛ましい爪跡が残されました。昭和20(1945)年に起こった町史最大の悲劇「本別空襲」。この惨事によって多くの命と財産を失いましたが、人々は焦土から立ち上がり、平和で豊かなまちの再建を目指すのでした。
「歴史写真館@ほんべつ」8回目は、終戦から6年が過ぎた昭和26(1951)年。戦災被害からの急速なインフラ整備、産業の立て直し、教育の振興など、町民力を結集した「まちの復興」を示す開基50年の本別町の姿をお伝えします。
昭和26(1951)年は、本別外5カ村戸長役場が設置された明治35(1902)年から50年目となる年で、さまざまな催しが行われました。
9月19日、記念式典が開催され、会場の本別小学校屋内運動場には、650人以上が詰めかけました。そこでは前夜に録音された「町の古老の懐旧座談会」が放送されたほか、来賓(らいひん)には昭和26年度本別町勢要覧、本別町鳥瞰図(ちょうかんず)などの記念品を贈呈。町内各家庭には茶わんと鉛筆が配られました。また、同日の祝宴では、この機に制定された新しい「本別町歌」が発表され、かつて美蘭別小学校の校長だった作詞家吉川静夫による力強い歌詞は、現在も歌い継がれています。

祝賀行事は、8月の少年野球リーグ戦から始まり、青年団の陸上競技や相撲大会、勇足競馬といったスポーツ大会が目白押し。9月18日からの4日間は、本別小学校の教室を利用した展示会も開催され(写真①)、農林畜産業、商工業などの現況、学校や文化団体の活動が、広く知れ渡ったようです。この年は本別小学校50周年、本別高校10周年、消防団35周年も重なり、多くの記念行事がありました。

写真②は、本別神社祭典に合わせて繰り出した山車(だし)と移動演芸隊です。花自動車を連ねて仙美里、勇足、本別市街を回り、歌謡、手踊り、寸劇などを披露。児童生徒らによる旗行列もあり、「本別市街の人出は開町以来の記録」となりました。

さて、ここまでの記事と写真は、昭和28(1953)年に発行された「本別町五十年史」(写真③)によるものです。同史冒頭では「本町開基五十年の歴史は、取りも直さず開拓先人の奮闘史である」と開拓者を讃えています。布表紙に特産品の亜麻が使われていること、写真①のように当時から「豆のまち」を発信していることも興味深く、町のあゆみを今に伝える貴重な歴史書です。
(広報ほんべつ2018年11月号掲載)